有限会社 uソリューションズ
 

1 芝生村追分、江戸方見附

 旧東海道は神奈川宿を出て芝生村追分(しぼうおいわけ)で保土ヶ谷宿の管轄にはいり、追分から約400m進んだ地点に江戸方見附がありました。この江戸方見附から上方見附までが、宿内(しゅくうち)と呼ばれました。参勤交代の大名行列は宿内で威儀を正して進み、見附を出ると結構自由に歩いたと言われています。
 追分は分岐点を意味し、芝生村は東海道と八王子街道の分岐点でした。現在の国道16号とほぼ重なります。昔と今の地図は2 旧帷子橋跡を参照してください。
追分前後の風景
 これらの写真は2005年6月4日に撮影したもので、この日は浅間神社の祭りでした。600m程度旧東海道上に出店が埋めつくしていました。
神奈川宿方面(写真2) 江戸方見附方面、現在松原商店街(写真3)
江戸方見附跡
 気をつけなければ通り過ぎてしまいそうなところにあります。見附というと、赤坂見附や四谷見附が有名ですがこちらは江戸城の見附で規模が違います。赤坂見附跡は僅かに石垣だけ残っていますが、両方とも地名として残っているだけで意味を知っている人もまれでしょう。
 各宿場の見附は土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造でした。このため見附は本来簡易な防御施設として設置されたと言われていますが、土居(どい)とも呼ばれていたことを考えると単に宿場の入口を示すものと思われます。
戻る 次へ

 
Copyright © uSolutions Inc. All Rights Reserved.
ホーム 保土ヶ谷宿