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保土ヶ谷か程ヶ谷か

当保土ヶ谷では昭和13(1938)年に「保土ヶ谷」に決着済み
 Wikipediaでは「程ヶ谷宿(ほどがやじゅく、保土ヶ谷宿とも書く)は、東海道五十三次の宿場の一つ・・・」と間違って記載されているため、保土ヶ谷の住民として黙っておれず述べることにします。
 さらに横浜市は「保土ケ谷」が正式な表記であると近年言い出し、さらに混乱させています。
 ヶもケもケに統一するというもので、古来慣習的に ga, ka は「ヶ」 keは「ケ」(この場合アクセントがつく)と明確に表記されていたものを、曖昧にする暴挙です。

「保土ヶ谷」の表記が公称であることは『保土ヶ谷郷土史』昭和13(1938)年11月に記載さた「第ニ門 徳川時代 第ニ章 第ニ節 宿名は保土ヶ谷か程ヶ谷か」を要約します。
「最初に登場するのは天文12(1543)年の神明社由緒書(原本はなし)に「保土ヶ谷」とあり、郷土研究の根本的な資料である文禄2(1559)年の「小田原衆所領役帳」にも「保土ヶ谷」と表記されている。
 江戸幕府の公文書では慶長6年(1601)の「傳馬ノ朱印」に「本と可や」と表記されているものの、以降本陣文書目録にある公文書、私文書のほとんどが保土ヶ谷と表記している。
「程ヶ谷」を用いた最初は寛永10(1633)年の「傳馬人足并次飛脚御用ノ爲被下米ノ件」の本文中に登場する。紀行文、詩、歌の中では盛んに「程ヶ谷」と表記されている。また保土ヶ谷の地以外で編纂された書物の多くは「程ヶ谷」とされている。これは文人墨客が神奈川を金川と洒落て戯書するのと同じことである。
 一部の特殊者が用いた程ヶ谷は誤りではないが、雅称とか俗称で、地名保土ヶ谷が文献に登場した室町時代以降江戸時代に亙って、我が郷土の人々が日常慣用としていたのは保土ヶ谷こそ正当な公称である。」

 なお「保土ヶ谷の地名」の謂れについては神明社の郷土史を参照してください。

 
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