保土ヶ谷宿
◆助郷会所、問屋場、高札場
問屋場は宿場の中でも重要な施設で、幕府の公用旅行者や大名などの荷物運搬(人馬継立)、幕府公用の書状等の通信(継飛脚)、大名の宿泊の手配などを担っていました。
助郷制度は宿場で賄いきれない人馬を、指定された周辺の村々から動員(徴用)することを助郷と云いました。こうした助郷村々からの助郷動員の指示に対応するため、問屋場の近くに助郷会所という事務所を設けていました。
札場は、幕府や領主の最も基本的な法令を墨書きした木の札を掲示した施設です。通常、土台部分を石垣で固め、その上を柵で囲んだ内部に高札が掲示され、屋根がかけられています。宿場の高札場には人馬の駄賃や宿代などを記した高札が掲示されており、宿内の中心地に設置されました。
ここ以外にも東海道沿いには芝生境、原田、大仙寺下、樹源寺下、元町にあったと云われています。
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