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新港埠頭・ハンマーヘッドクレーン
特色
 新港埠頭は明治32年(1899年)から海面埋立工事が行われ、その後、1917(大正6)年に陸上施設整備を含む埠頭整備が完了した。この結果、埋立面積約230,500 m2、岸壁延長約2,060m、鉄道上屋11 棟、木造上屋3棟、レンガ造倉庫2棟、50 トン起重機(ハンマーヘッドクレーン)1機、その他鉄道、道路、上下水道、発電所等が完備され、わが国初の近代的埠頭として、横浜港の中心的役割を担うこととなる。
 埠頭には、明治32年(1899年)当時、海上輸送貨物の荷さばきやこれに伴う一時保管を行うための建物である鉄骨造上屋が建設されている。大正6年(1917年)には、臨港鉄道が追加整備されており、海上輸送と陸上輸送の接点としての土地利用がなされていた。その後、大正12年(1923年)の関東大震災により埠頭が大規模に水没してしまい、その修復のため大量の瓦礫による埋立造築がなされており、同時に崩壊した陸上施設の整備も行われている。第二次世界大戦においては、港湾施設への被害は少なかったが、敗戦による大規模なGHQによる接収から横浜港は一時的に貿易港としての港湾機能を失っている。その後、接収は解除され、近代港湾としての役目を果たして行くが、施設の老朽化や大規模近代港湾である本牧・大黒埠頭の整備から港湾機能の中心が移り行き、みなとみらい事業により大規模な再開発がなされてきた。現在では、新港旅客ターミナルと、東京芸術大学のスタジオとして土地利用がなされている。
 2008年に横浜トリエンナーレ会場の建設の為の基礎工事が行われた際、臨海鉄道の軌道敷や荷さばき場等埠頭設備の遺構が見つかった。その大部分は現在も建物の下に埋まっている。
 埠頭に保存されている50トン起重機(ハンマーヘッドクレーン)は大正初期イギリスから導入し設置した日本に3基のみ現存するクレーンの一つであり、関東大震災にも耐えた歴史的に貴重な電動式クレーンである。他に現存するクレーンは三菱長崎造船所の200トン吊り(大正元年(1912)竣工)、佐世保電工株式会社の250トン吊り(大正2年(1913)竣工)で、世界でも17基しか現存していないと言われている。
 また、埠頭の入口にコンクリート製の門柱2基が残る。
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