解読 
<表紙> 
江戸より京迄  圖翁 遠近道印 作 
東海道分間絵図 
三分壱町積り 日本橋詰 万屋清兵衛版 
<本文> 
それ図とは言語不休、覆障不知の理を 
顕を以って事となり、是を名づけて図という。 
古今の名賢下劣の頑愚に至る迄、通満 
所用する所也。然と雖ども往昔より大概の撰 
図多々なりといへども、分間細々たることなし。 
殊に世間の移り替るに随て路道に 
遠近出来、用に詮無し。爰に遠近道印と云 
人。江府の図を始て一分五間の積りに五枚 
にあみたて、書肆にあたえて世に流布せり 
又去年、一分拾五間の割を以て、分間江戸 
の圖と題し正改す。其他、一分四拾間の 
懐中の図、考と雖ども分厘のただえなし。故に上一 
下万人に至る迄、一同の名誉を唱ること勿論也 
去るに依り道印に因んで東海道五十三次の道法分間 
に顕し而、所々の景、村付け、馬次、家並、名所、旧跡、山 川、 
海道、微細に考え、既に板行令と清書を画師 
菱河氏に請う。時に彼師云う指図計りにては通達 
の慰用共ならず。唯右の図を風俗に顕し、うるわしきを以って 
高位の簾中、下劣の女童に至迄、明鏡に向かいて 
自面之みるがごとくならしめん。と功筆を抜す。凡そ此の両 
家は名誉を世に顕し、貴賎一同免する所の名人 
たり。誠函蓋相応、毛頭のたがへなきを以って、 
板行流布令むる者也。 
 
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