有限会社 uソリューションズ
 

間違い その1

 保土ヶ谷から富士を望むと原画のように北に雪線が麓まで裾を引くようにはならない。描かれた時期が何時かを考慮しなくても、四季を通じて原画の富士山を見ることはないのである。富士山の東側に対して、雪線が降りてくるのは良く知られていることで次のように説明できる。
富士山の東に雪舌が出来る訳
富士山が独立峰であり偏西風の影響を受ける
 特に冬季に卓越する降雪で、風下の東側に吹き溜まる。
 富士山の裾まで降雪する場合は西高東低の冬型の気圧配置のときではなく、首都圏が大雪になるときとである。即ち台湾坊主と呼ばれる低気圧が移動してきたときで、4月に大雪になることもある。
樹林の有無によって雪のつきかたが変わる
 一般的に樹林があると、少々の降雪では遠くから白く目立つことはない。
 話題は変わるが冬季の最大積雪時に富士山の雪線の下限線は森林限界までとなる。富士山の場合、森林限界は緯度によるが2400mと言われる。ただし東南東斜面(平塚、江の島方面)の森林限界は1300m程度までと異常に低下している。これは1707年に発生した宝永噴火のためである。大量のスコリア(*1)を撒き散らしたため、この方向に火山性の荒原が広がり降雪で遠くからでもこの方向に雪舌と呼ばれる積雪地帯が見られるのである。
 以下の写真は富士山の南南東から撮影したもので、西(写真の左)は雪線は高く、東側はかなり下まで降りていることが分かる。正面は宝永火口で、上記の事項を証明している。
(*1) スコリア:火山噴出物の一種でマグマが発泡した多孔質のもの。黒っぽい色をしている。白っぽいものは軽石。
1994年1月1日 十里木(裾野市)標高約900mの地点で撮影
保土ヶ谷から富士山がどのように見えるか

2006年1月24日撮影(雪舌が横溝説のように下がっているのが分かる)

2006年4月3日撮影

2006年5月3日撮影(雪が目立つようにPhotoShopでかなり処理している)
 この版画の描かれた季節は春(4~5月)と思われるが、原画のように片方の雪線だけ麓まで延びることはなさそうであるが、少なくとも北側の麓まで裾を下ることはない。また大山、丹沢の稜線に遮られて原画のように麓まで見えない。
 右は同じ富嶽三十六景相州江の島で、時期的に保土ヶ谷と同じ春と思われる。もしかすると保土ヶ谷、江の島の順(あるいは逆)で描かれたのかもしれない。ただ江の島の富士山の雪線は割と正しい。雪舌はもう少し中央に来ると思われる。

 北斎が保土ヶ谷を描いた時期は天保2年頃(1831年)と言われており、宝永噴火から130年程度を経ているので、上記に述べた雪線の出来方をあてはめることができる。即ち現在と変わらないと思ってよい。
戻る 次へ

 
Copyright © uSolutions Inc. All Rights Reserved.
ホーム 保土ヶ谷宿