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本当の冨嶽三十六景東海道程土ヶ谷(北斎)とは

 初めて、この絵がおかしいと思ったのは1990年頃で富士山を間近でよく見るようになってからである。富士山の雪線が逆になっており、北斎は保土ヶ谷からの富士を描いたのではなく、御殿場、箱根、伊豆の方向から見た富士を描いたと思っていた。
 明神台(以前の住居)から瀬戸ヶ谷に住み12年、旧東海道が身近になり、この絵が何処で描かれたかを追求するようになり、この絵は表裏逆であると確信した。普通の絵画では画家が意識的に描かない限り起こることはないが、この絵が版画であることから、表裏逆ということも発生するのである。
 北斎はかなり細かいところまで表現していて、例えば原画の一番左の駕篭かきは腋毛まで描いているくらいだから、遠景も忠実ではないかと思われる。
 この絵が表裏逆だからと言って、北斎を否定するわけでもなく、価値が下がるものでもありません。
 冨嶽三十六景が描かれた場所をGoogleMapsで表示しています。もちろん正確な位置ではありませんが一応の目安としてください。
版画の問題点
 この絵は東を背にして、ほぼ真西の富士山の方向を画いたものである。したがって左手は南、右手は北にあたる。以下の4件を総合して北斎の版画は、画家の意図に反して表裏逆に刷られたものとして間違いない。
1 富士山の雪のつき方(ここでは雪線と呼ぶ)が逆
 原画のように北側の裾まで下ることはない。そもそも富士山の裾は大山に遮られる。このような富士山の眺めは伊豆方面から見た場合である。
2 大山、丹沢山群のはずが江の島方面にある
 実際はもっと高く。屏風のように北へ連なっているが、原画の方向に大山、丹沢山群はない。これも逆になっている。
3 原画の右側の峠は
 権太坂(一番坂にしても二番坂)から画かれたとすると右側にはピークはない。このためこの絵が描かれた場所が何処かと言うことが謎になってしましった。これも逆とすると、権太坂それも一番坂で描かれたものと特定できる。
4 松の枝が北に延びているように見える
 本来は南に延びるはず。これはこじつけと取れなくもないが、逆とすると自然になる。
5 馬子が右手で手綱を引き、左手で杖を突くだろうか?
 私は右利きであるが杖は右手で持つ。厳冬期の北アルプスでピッケルを使うが右手である。私の知っている限り左利きはいない。この点についてはさほど説得力はない。また刀を差している方は原画があっているような気ものする。
原画(1-a) 横溝説(1-b)
権太坂で描かれた
 左上の地図の権太坂(一番坂)が区が推測する位置。原画3のピークは表裏逆であるため、地図中の△のピークと一致する。二番坂への登りとすべきだろうが(教育委員会もこことしている)実は違うのである。
 下図は品濃坂で、権太坂から2Km強戸塚方面へ行ったところになり、現在は東戸塚のダイエーあたりになり、私が推測する位置。
 この地図と拡大した地図(左地図をクリック)は明治15年(1882年)測量、同19年製版とあり、保土ヶ谷付近は東海道線(鉄道)もない。現在の東戸塚は鉄道が見られる。横浜〜国府津間の着工は明治19年であるから実際の地図上には描かれていない。現在の東海道と横須賀線、国道1号は私が描き入れたもの。
 この地図の中心が境木村とあり、現在の保土ヶ谷区境木で箱根までの最高地点(86.9m)で三角点がある。
 2005年10月24日〜12月4日まで国立博物館で開催された「北斎展」(日本経済新聞社刊)によると「この場所が保土ヶ谷のどの位置になるのかは、最近まであまり言及されることはなかった。だが近年、品野坂であるという見解が有力視されるにいたっている。」という記述があった。私は即座に間違いであると思った。
 品野坂は本来品濃坂と表記されるものだろう。品濃坂とすると東海道戸塚とならなければない。なぜなら宿場の管轄が厳密だった江戸期にあり、戸塚は相模国、保土ヶ谷は武蔵国と国も違っており間違えることはあり得ない。ところが、他の錦絵を見ると、品濃坂も保土ヶ谷と記述されているものが多く、総合すると品濃坂説も捨てられなくなり、私も品濃坂と結論づけた。
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